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■ DUCKS TALK バックナンバー
ユージン再訪記
(吉田茂樹-95年 Math)
ロシアの虚像と実像
(桑田泰弘-67年 Journalism)
Pursuit of A Dream
(静谷大輔-98年 Business)
オレゴン〜バリャドリード 学びの旅
(秋山正幸-65年 English)
民族問題として見たアフガン問題
(原百年-93年 Int'l Studies)
夢を追いかけて
オレゴンで自給自足の学校を作る

(堀切幸治-92年 Sociology)
ヨルダン体験
(河村多恵子-94年 Int'l Studies)


 

 

 

 

 

 

民族問題として見たアフガン問題            原百年 93年 Int'l Studies

 「民族」とは、「彼ら」に対して「我々」という意識を持った集団のことである。よって、世界の舞台で「我々」と言う場合、我々日本人は「日本民族(人)」を指す。

 アルカイダと名乗るグループの構成を見た場合、アラブ系やペルシャ系を中心に多くの民族が混在しているので、一見アルカイダを一つの民族として見ることは不自然に思われる。だが、旧ユーゴスラビアのイスラム系住民が、セルビア民族、クロアチア民族に対して「ムスリム民族」と呼ばれていたように、イスラム教がアイデンティティ形成に非常に重要な役割を果たしていたからこそ、イスラム系住民が言う「我々」とは「ムスリム民族」を指すのである。

 よって、もしアフガン問題に関係しているイスラム原理主義の人々が言う「我々」が「アルカイダという集団」であるなら、その「アルカイダという集団」を「アルカイダ民族」として見ることはできなくもない。そして国連憲章に「民族自決」という言葉があるが、その「アルカイダ民族」に「民族自決」の権利が与えられても良いことになる。もちろんそうなることは有り得ないだろう。だがもし「民族問題」としてアフガン問題を見たなら、アメリカを中心とする西側世界は「民族自決」を求める「イスラム原理主義アルカイダ民族」との紛争を余儀なくされることになるだろう。そして多くの民族紛争がそうであるように、泥沼化する可能性も高いのである。

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