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オレゴン〜バリャドリード 学びの旅 秋山正幸 65年 English
1964年の夏に、ミシガン州立大学の英語研修センターの集中英語コースを終了し、オレゴン大学に移り、1964から1965年までオレゴン大学大学院の英文学研究科に留学した。1コースで10冊ほどの英米小説を読まなければならず、3コースを受講するのが私の能力と体力の限界であった。しかし、私は欲張って早朝のフランス語の授業を受けた。文学研究にはフランス語をマスターしておくことも重要であると思ったからである。今でも、夜の1時、2時、3時頃まで猛烈に勉強したその頃のことが懐かしく思い出される。
帰国後母校の日本大学で英米文学の講義を行ない、国内外の学会でも研究発表を積極的に行なってきた。今でも、「米国現代語学文学会」や「米国ヘンリー・ジェイムズ学会」の会員である。
私は日本大学英文学科を卒業する時は森村豊教授とイギリス人R.H.ブライス教授(天皇陛下の家庭教師)の指導の下で、イギリスの作家D.H.ローレンスに関する卒業論文を書いた。
卒業後、ヘンリー・ジェイムズの作品を読んで、彼の小説に深い感銘を受け、その後30数年にわたり、ジェイムズを中心とした研究を続けることになった。ジェイムズは欧米文化には多くの相違点があることを見抜き、『アメリカ人』と題する小説の中で、欧米文化の対立点、特にこの小説の主人公のアメリカ人気質とヨーロッパの伝統主義の対立点を描いているのである。文化・文明の衝突を主題としたジェイムズの国際小説は私に非常に新鮮なイメージを与えたのであった。私はジェイムズの研究に没頭してきたが、何年か経過するうちに、私の研究はどう考えても、英文の文献精査の面で英米のジェイムズ研究者の水準を超えられないということがわかった。英語を母国語としない私には英語の背景にひそむ英米文化の本質を把握する点においても、英米の研究者に及ばないことがわかったのである。
そこで比較文化の視点から、ジェイムズの小説と日本の小説を共通の基準で比較研究することを思いたったのである。そしてこれまで、ジェイムズを中心とした日英米の比較文学研究に携わってきたのである。英語圏の人たちに読んでいただきたいと思って、アメリカの比較文学の研究誌に論文を書くように心がけた。それらの諸論文を、スペイン国立バリャドリード大学の英文学科主任教授マリア・ルイス博士の指導の下で、書き直し、体系化して著書にしたものが、A
Study of Narrative Techniques:Comparative Approaches to Works of Henry
James and Selected Japanese Authors である。この著書によって、バリャドリード大学よりPh.D.(英語英文学)の博士の学位を授与された。700年の長い歴史と伝統のあるスペイン国立バリャドリード大学から学位を授与されたことは非常に光栄なことである。すでに日本大学より博士(国際関係)の学位を授与されているが、それ以上に名誉なことだと思っている。バリャドリード大学の英文学科で客員教授として講義をしたことから、この大学と深いつながりができ、博士の学位を授与されることになったのである。定年に近づいてからの学位取得であり、心の中では恥しい気持ちのほうが強い。
サミュエル・ハンチントン教授は、9月27日の読売新聞で、「世界の危機−日本の責任」と題する論説の中で「冷戦後の社会では、イデオロギーの果たす役割はほとんどなくなり、代わって文化、宗教、民族などがより重要な役割を果たすようになっている。中でもイスラム教世界では、イスラムに対する宗教意識が極めて大規模に復活した」と書いている。つまり、これからは、諸文明がお互いにアイデンティティーを主張し、そのことが文化的な対立・衝突を生む要因になってくると言っているのである。
欧米と東洋の小説の比較を主題とする私の研究は、自国の伝統文化の美や価値を他国に理解してもらうことを目指すと同時に、他国の文化的特質をも理解しようとするものである。この比較文学研究の作業が、世界人類の共存と調和を実現するための一翼を担うことができれば幸甚である。
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