UOAAJ HOME | UOAA U.S | Contact Us | SITE MAP |
 
   
 
 
 
  UOAAJ TOP >>  
 
     
 
 
■ DUCKS TALK バックナンバー
ユージン再訪記
(吉田茂樹-95年 Math)
ロシアの虚像と実像
(桑田泰弘-67年 Journalism)
Pursuit of A Dream
(静谷大輔-98年 Business)
オレゴン〜バリャドリード 学びの旅
(秋山正幸-65年 English)
民族問題として見たアフガン問題
(原百年-93年 Int'l Studies)
夢を追いかけて
オレゴンで自給自足の学校を作る

(堀切幸治-92年 Sociology)
ヨルダン体験
(河村多恵子-94年 Int'l Studies)


 

 

 

 

 

 

ロシアの虚像と実像             桑田泰弘 67年 ジャーナリズム

 本日は堅苦しい話をする訳でありません、まして学術論文の発表ではありません。ロシアに約6年間生活した実体験をベースにありのまま感じた事を素直にご紹介したいと思います。気軽に聴いていただきたいとお願いする次第です。

ロシアはヨーロッパではない

 戦後50年アメリカと言うと非常に身近に感じられる国ですが、ロシアと言うとKGBとか、マフィア、北方四島等、新潟からウラジオストックまで一時間十分で行ける近隣に在りながら、身近に感じられないまた勉強の機会も少ない未知の国といっても差し支えは無いでしょう。どちらかと言うと我々日本人にとって非常にNegativeなコメントの多い国でもあります。この傾向は欧州人にも共通しておりまして、ロシアの近くに在りながら、過去の歴史の負の遺産なのでしょうか、余りロシアを良く言う人は少ないのが実情であります。Hondaの欧州現法の社長会の話ですが、ポルトガルHondaの副社長ゴメス氏が"桑田さん、ロシアへ行ったら帰って来れないというのがポルトガル人の正直な感想ですよ"と言われたのを今でも思い出します。紛れもなくロシアはヨーロッパの一国ですが 何故ヨーロッパの一員として考えられないのか。実はロシアはヨーロッパでありながらヨーロッパでない独自性を多々持っている訳であります。

 先ず第一に、ユウラシアと呼ばれる世界一の広大な国土を持っておりまして、地球上の陸地の六分の一を占めています。その広さ日本の約60倍であります。この広い国土が年間の半分を零下20〜50度と言う過酷な気候にさらされる冬の厳しさがあるのです。第二に、この広大な国土と比較して人口は1.5億人と日本の1.2億人と変わらない人口密度の低さが有ります。ソヴィエト時代は2.5億人でした。第三に、ロシアはソヴィエト時代には135民族、現在でも100民族は居る他民族国家であります。第四に、これら100民族の中でロシア人が80%を占めロシア正教を国教としています。カトリック、プロテスタントの欧州と違いギリシャ正教を母体とするキリスト教であります。1453年東ローマ帝国崩壊の折は本山の役目を果たしていた事もあります。第五に、ロシアはエリート主導で歴史が流れてきた国であります。民衆は過酷な気象条件の中で生存に一生懸命の素朴な人達であったと言えるでしょう。

ロシアの歴史

 ここで少しロシアの歴史を散歩してみましょう。ロシア人の起源は8世紀(762年頃)北から川伝いに降りてきたノルウエー.ヴァイキングが今のウクライナの首都キエフ辺りで東スラブ民族と混血したのが始まりと考えられています。ここで栄えたキエフ王朝が1148年モスクワへ移りイワン王朝、ロマノフ王朝の始まりとなります。1703年にピヨトール一世がモスクワから今のサンクトペテルブルグに首都を変え西欧化を大々的に推進する事に成ります。しかし、1917年レーニンによってロシア革命が起こりロシアの王政は崩壊、社会主義国家の道を歩むのですが、1991年社会主義の幕は下ろされ新生ロシアが誕生する訳であります。この8世紀から20世紀までの社会構造はロシアの場合何も変化しておりません。キエフ王朝からロシア革命までは10〜20%の王朝貴族80〜90%の農奴、社会主義に成ってからは10〜20%の共産党エリート、80〜90%の労働者、つまり指導者(エリート)と被指導者の構図は全く変化しておりません。エリート主導ゆえの圧政も多々有りました。唯ここで注目したいのはロシアの歴史上大変化が起こる時には必ず外国人が顔を出す事であります。

 エルミタージュに象徴されるサンクトペテルブルグでロシアの西欧化に大奔走したエカテリーナ女王はドイツ人です。サンクトペテルブルグでロシア革命を起こしたレーニンはユダヤ人です。血の粛清を実行し独裁体制を確立したスターリンはグルジア人です。ソヴィエト宇宙科学の旗手はナチ時代のドイツの科学者です。ロシア文学の祖にたとえられる詩人プーシキンはエチオピアの血が入っています。他民族国家ロシアならではの色取りであります。逆にロシア人でエリートに属しながらロシアから逃亡した有名人も多く居ます。日本の神戸でモロゾフチョコレートを作ったモロゾフはロシア革命を逃れた貴族でした。メキシコで暗殺された政治家トロッキーがいます。バレーのヌレーエフも出ています。ロシア革命で貴族たちが、ソヴィエト時代に芸術家が逃亡の中心を成していたといえるでしょう。

 歴史の話がでたついでにここでロシアと日本の過去について簡単に触れてみたいと思います。一言でいって歴史解釈上のネジレに問題があると見ています。日本は日露戦争の劇的大勝利で当時の国威発揚政策もありロシアを一段低く見る国民感情を持っていたにも拘らず、太平洋戦争終結の一週間前ソヴィエトが日ソ永久不可侵条約を一方的に破棄し、日本の敗戦と共に62万人の抑留を実行、北方四島を占領等の事実がありロシア人は卑怯で汚い人種だとの解釈が非常に強く持たれています。こうした我々日本人のロシア並びにロシア人のイメージにソヴィエト崩壊時の暗い、混乱と混迷のニュースが大々的にマスコミ報道となり今もロシアの実像を現実から乖離させている大きな理由と考えられます。

ロシアの経済マフィア

 そろそろ今日のロシアに話を移したいと思います。1991年のソヴィエト崩壊以降12年が経ちました。今のロシアは日本の経済史の物指で計りますと丁度1960年代の日本と見受けられます。先ず、国家運営の縦糸は行政であり官僚主義がソヴィエト時代と大きく変わらず幅を気かしていると言えます。何が何でも書類主義、結論出るまでの時間の浪費、法律運営面での解釈の多岐さ、社会変革のスピードはめまぐるしいものが在りますが、法律の整備並びに運営が青息吐息の状況です。この点中国は東洋の叡智でしょうかロシアのように一気に社会体制を変える事無く徐々に市場経済に移しつつあります。この官僚主義を旨く活用しているのがロシアの経済マフィアであります。いわばニューロシアン、あるいわニューリッチと今日呼ばれるエリート層の人達です。恐らくロシアの商品、サービス取引の40%を握っていると思われます。マフィアは経済が落ち始めたブレジネフ時代から活発に成り、ゴルバチェフの節酒令が出た時代に巨大化しました。1920年代の禁酒法のアメリカとたいへんよく似た現象です。新生ロシアになってから自由に商売が出来る訳ですから社会主義時代の裏商売が表商売になり巨大な利益を享受しているのです。この点でマフィアとは言え日本のやくざとは全く違う点ご理解下さい。現在のロシア経済に取って大きな問題はこのマフィアによるMoney Lauderingであり、一説には1,500〜2,000億ドルと言われ、ロシアの対外債務を帳消しにする額になっています。

▲Topに戻る  | Continue続く >> 

 

 

 

 

 

 
 
 
Copyright © 2006 University of Oregon Alumni Association Japan.